ケラニヤ・ドゥルス・マハ・ペラヘラ

ケラニヤ・ドゥルス・マハ・ペラヘラ

その年最初の大規模なペラヘラ――市街地を練り歩く仏教由来の巡行行事――は、ケラニヤ・ドゥルス・マハ・ペラヘラというが、ケラニヤ・ペラヘラという呼び方を好む人もいる。毎年1月の満月の日に開催され、ドラムを叩く人、ダンサー、トーチを掲げて歩く人、象、アクロバットをする人が、列をなして歩くこのペラヘラの大行進は、スリランカ低地帯で行われるこの種の巡行行事の中でも、最も色彩豊かで人気がある。

ドゥルス・ペラヘラは1927年1月に初めて開催され、ブッダが悟りを開いてから8年目の1月の満月の日にケラニヤの地を訪れたという伝承を記念した行事である。ペラヘラは、ケラニヤ・ラジャ・マハ・ビハーラヤ (地元ではケラニヤ寺院として知られる)が中心となって開催される。ケラニヤ寺院はコロンボから7kmの場所に位置し、ケラニ川のごく近くに建っている。

ペラヘラは、たった1日だけで終わってしまう祭りではない。様々な宗教的祝祭が1週間もの間、次々と催され、最後に色彩溢れるドゥルス・ペラヘラに至って最高潮に達するのである。

祝祭ムードは、ケラニヤの寺院の境内にも境外にも広く行き渡る。品揃え豊かな商品を売るおびただしい数の屋台が、寺の近辺に軒を連ねるからだ。そうした商品の中でも特に際立っているのが、陶製品やその他の装飾的な陶器類である。テラコッタ製の優美な装飾品、手描き模様や釉薬を施した陶器の水差しや装飾的な甕も、こうした屋台に沢山陳列される。

ドゥルス・ペラヘラは、3つの別個の巡行行事からなる。ダートゥ・ペラヘラは、仏舎利、仏歯にちなんだ行進で最高位に位置づけられており、その後に三神にちなむデヴァーラ・ペラヘラの行進が、その優位性の順に続く。すなわち、ヴィシュヌ神、カタラガマ神、そしてヴィビーシャナ神の行進である。行進は3日間で、各々に独自の儀式と伝統がある。

ペラヘラの祭りが始まる日の前夜には、祭りに関連する恒例儀式が寺院で執り行われる。聖なる棺が、バスナヤケ・ニラメ(長官)に手渡される祝いの瞬間には、ペラヘラ祭りの開始を告げる祝砲の音が夜ごと鳴り響く。

第3番目のペラヘラの最終日の行進はランドーリ・ペラヘラといい、全てのペラヘラの中で最も彩りが美しく壮大である。

行進を先導するのは鞭をふるう人々。一列になって規則的なリズムで鞭を打って歩く。彼らの後に続くのが、火の玉を操る人々の一団で、様々な隊列を組んで踊ったり移動したりし、紐のついた何百という火の玉を揺らしたり、ぐるぐると回したりしながら、火で空中に、多数の模様や形を描いて見せる。次はスリランカの旗を運ぶ象が行進。この国を象徴しているという訳だ。その後にはユニフォーム姿の旗手の一団が続き、二列になって、色とりどりの幟やスリランカの各地域や地方の旗を手に行進する。

次はドラム隊で、後には象が仏教にちなんだ旗を掲げて進む。そのすぐ後ろには、左右二列になって一層多くの旗手が行進する。次に現れる象が持っているのは、ケラニヤの旗、ナガ・コディーヤだ。旗手の一団と、それから踊りながら進むドラム隊へと続いていく。

その後に今度は、寺院と行進に関わる在家の職員達。各々が一頭の象の背に揺られて登場する。後ろにはドラム隊とダンサーの集団が続くが、彼らの多くは、国中の様々なダンス・スクールからの出場者だ。

行進の最後尾に向かっていくと、高貴な血筋の勇壮な象が、美しく正装した背の上に聖なる棺を担いで進んでいく。この象の両脇にはほかの二頭の象達が付き従い、前に敷かれた白布の上をゆったりとした足取りで進んでいく。象の前方では、キャンディ州のヴェス・ダンスを踊る一団がドラムのリズムに合わせ、神を称える歌の一節を口ずさむ。
彩り豊かなパラソルを頭上にかざした象の後ろからは、寺院の在家職員の長官、バスナヤケ・ニラム氏が、古式ゆかしく気品に満ちた装束に身を包んで姿を現す。彼にはなお一層多くのドラム隊とダンサーの集団が付き従う。

ここでやっと三神にちなむディヴァ―ラ・ペラヘラの行進が、各々の順で続く。ペラヘラの大行進の最後尾を特徴づけるのが、ディヴァ―ラ、つまり神のための三台の輿、ランドーリだ。この輿の中には、それぞれの神の装飾品が収納されている。

ペラヘラの全行程は、等間隔で運ばれるトーチで明るく照らされ、ケラニヤの主要道路を網の目のように進み、巡り巡って最後には、寺院に戻ってくるという経路を辿る。

Close Menu
Close Panel